無尽蔵ブログ

mujinzo.exblog.jp

答えは、ひとつじゃない。

足尾銅山 探検報告(本文)

あの衝撃と感動が鮮度を保っているうちに、ブログにしておきたい。

d0078279_1193127.jpg






速報としてUPしたPicasaで見られる写真たちは、今回オイラが辿った順路そのものなので、順を追って説明していきたいと思います。


まず最初は相老駅
浅草から東武の特急列車『りょうもう』に乗って、相老駅でわたらせ渓谷鐵道に乗り換え。
ちなみに、これの次の写真にあるとおり『わ鐵』というのがわたらせ渓谷鐵道の略称のようです。
相老駅で撮影した群馬から栃木に懸けての山々。
2年くらい前に感銘を受けた言葉に『空が広い』というのがあるが、実にその通り。
東京に比べて圧倒的に空が広い。山並みが一部でなく全て見える。
そんな相老駅から旅はスタートするのでした。

やってきたわ鐵はこんな電車でした。
レジャーがMAXの時期ではないので1両編成でした。
たぶん、1両編成の電車って初めての気がします。
電車なのにバスみたいな料金システムで、Suica/PASMOに対応していないあたりが、地方の弱小路線であることを象徴しているように思えます。
この電車に乗って1時間半、目的地の間藤に着くのです。

この間藤っていうところには探検に行く前から驚かせてもらった。
だって、駅の名前なのに変換候補には挙がってこないんだ。
ケータイでもMacでも、オイラの変換ソフトはATOKなんだけど、「まとう」と入力して『間藤』とは候補に出てきません。
このブログを打っている時点では、すでに学習して変換してくれるようになりましたが。
変換候補に出てこない駅名があるもんなのかと、正直驚きました。


この間藤駅から続く足尾精錬所を中心とした一帯地域、ここは信じられない驚きと発見に満ちた空間でした。
今は2008年で、21世紀になって久しいけれど、足尾は明らかに20世紀だったし、昭和だった。
しかも、バブル期よりも前の昭和だ。
足尾銅山が閉山されたのが1973年、おそらくその頃からほとんどくぁっていなんだろう。


間藤の駅前には早速すごそうな物件が。
しかしここはなんか稼働していそうな施設。
こういう建物が普通に存在していて、誰も何もしようとしない、そんな所だ。

間藤駅はわ鐵の終点であることに変わりはないのだけれど、間藤よりも先に線路は続いているのです。
つまりは足尾精錬所へと続く線路。もちろん今は封鎖されている。
それを象徴的に表しているのがこれ。
こんな踏切ほかにないんじゃないの?!近くで見るとこんな感じ
先の方がさらに封鎖されていることが分かると思います。この先に精錬所があります。


次に、この写真を見てほしい。
これは、青空と山並みを写したいが為に撮った写真ではない。
足尾の山々の現実を撮っておきたかったのです。
今は3月で、東京では桜の開花宣言がされたような時期です。
山奥ではまだ春を感じられることは少ないかもしれないけど、あまりにも緑のない山田とは思いませんか。
これが現実であり、これが事実です。
足尾の山には木が生えていないのです。
これはもちろん鉱毒問題に関連したもので、精錬所から出されていた有害な煙により、木は枯れ土壌が汚染され、再び木が生えなくなってしまったのです。
山の再生については、後述しますが大規模な再生事業を何十年も続けているみたいです。


この写真からも分かるように、足尾銅山の鉱毒問題は、決して社会科の教科書に載るだけでは済まされない問題で、発生したのは過去ですが、現在進行形の問題なのです。


たまに、こんな家があるのがまた面白かったりします。
この家はきっと21世紀になってから建てられたものだと思いますが、この写真にもあるとおり、周りの家は基本的に青色や赤色をしたトタン屋根の家です。
きっとこの青や赤の塗料の中に、錆び付き防止の薬剤なんかが含まれてるんだろうなぁ、と勝手に想像しています。


渡良瀬川はこんな色しています。
綺麗なエメラルドグリーンじゃん!とか思わないでください。
きっと何か理由があるはず。
その理由は分からないけど、この色になったには理由があるはず。
どんなに目をこらしても、魚は見えませんでした。
浅草から3時間もかけてやってきた山奥で、魚が見えないんだから、何らかの異常があることは間違いないと思います。


本山小学校に到着。
ここは精錬所が活発に動いていたとき、その労働者の子供たちが通うために創られた小学校。
建物は綺麗ですが、90年代に廃校になったと聞きます。
車が何台か停まっていましたが、きっとこれは山の再生事業を行っている人たちの車でしょう。
この本山小学校の近くにトンネルを発見。
もちろんこれは精錬所へと続く線路のトンネル。
いく前に予習した先人たちのレポートによれば、ここは通り抜けることのできるトンネルらしいので、いざGO。
中に入るとこんな感じで、非常に悪い何かに引き込まれるような気分。

トンネルを抜けると、そこは南橋集落
ここにはまだ住んでいる人がいた。
見た感じでいうと、建物の半分くらいは実際に今も生活している人の家。
残りの半分は、無人の廃墟。
青い屋根の塗装がかなり新しいのは、最近一斉に塗り替え作業でもしたんだと思います。

渡良瀬川の対岸には、深沢集落があります。
南橋とはうって変わってここは廃墟の集落、つまりは廃村。
連続して写真をブラウズしてもらいたいですが、燦々と陽に当たりながら、この廃村はいまだに存在し続けているのです。
てゆーか、こんな集落を大真面目に紹介する立て看板なんか作っているところからして、何も手をつけずに残していくつもりなんだろうね、国として。
奥多摩の倉沢集落なんかとは違って、すごく日当たりのいい場所だ。
倉沢はねぇ・・・・・なんであんな所に人を住まわせようとしたのか謎だよ。
しかも今でも一人集落の外れで住んでいる人がいるから驚愕。
今どんな状況になってるんだろう・・・・


さ、だいぶ寄り道してしまったが、ついに古河橋到着。
まぁこれらの寄り道は足尾銅山について身をもって学ぶには、欠かすことのできないコースだとは思う。
んで、この古河橋は『トラス型』という橋の作り方としては日本最古なんだとさ。
橋の作り方についてはあまり知識がなく、正直興味もないので『へぇ〜』だけで済ませときます。
そんな古河橋を渡れば足尾精錬所そのもの。
もちろん封鎖されていて、関係者以外立ち入り禁止となっている。

いざ、気合いを入れて強行突破。
閉ざされた門の先は、今まで見たことのないものばかりでした。

写真
何か深い溝のような器のようなものがあるので、きっとここで何かを鋳造したりしていたのでしょう。
それにしてもでかい。むっちゃくちゃでかい。

写真
硫酸の貯蔵タンク3兄弟。これまたでかい。そしておぞましい。。。

写真
工場(天守閣)の内部。
屋根や壁は吹き飛び、錆びた鉄骨だけが生き残っている。
すごいでかい。この迫力は、残念ながら写真では全てを伝えることができない。

写真
タンクの中身が気になる。。。
えらい危険なものなんだろう・・・

写真
ものすごいパワーで何かを燃焼させていたであろう高炉。
ジブリの世界に出てきそうだなって少し思ったりもした。

写真
おばけ煙突。まじ巨大。ここから出る煙が、周囲の山々に生きていた植物を・・・・

写真
結構最近盛られたような感じがする。
これだけでっかい廃墟ですが、一部稼働中という噂を聞きますので。
どこをどうやって稼働させて、何してんだよ?!というのが率直なツッコミです。

写真
トップ画像にもしていますが、おそらくこれが今回の探検におけるベストショット。
モノクロやセピアにして撮影したものではありません。
現ナマです。フルカラーの総天然色です。
雑草ですら、こんな訳分からない色に変色してしまっているのです。今でも。
そのほかの写真も含めて、全て現実であり、全て事実です。
本来であればとても綺麗の撮った写真をベストショットとするべきなのかもしれませんが、写真に込められたメッセージ性を重視するのであれば、この写真が圧倒的1位であると思っています。
よく見て。よく見て。雑草だよ、これ??
雑草魂はどこへやら、どこでも根を張って生きていこうとする雑草が、こんなだよ。
まるでドライフラワーだ。

写真
工場の斜面を登っていく途中。
逆光だけど、天守閣の巨大さが強調されているようだ。
ものすごく巨大な力を感じずにはいられない。

写真
こんな眺めの中で、昼休憩しました。
ファミリーマートで買ったおにぎり。
ここで何分くらい居たか分からないけど、無音空間を堪能していました。
無音空間、感じたことある??
吸音壁なんかで作られたスタジオで無音空間を感じることはできるけど、ここは野外だ。
何も聞こえない。
渡良瀬川のせせらぎの音も、聞こえない。
ときどき聞こえるのは、耳を駆け抜ける風の音と、それにたなびくトタンや残骸たちの音、鳥が鉄骨に着地したり飛び立つときの音。
それ以外、何も聞こえない。それはそれは不思議な空間。
無音の空間の中、精錬所の天守閣はそびえ続ける。
この巨大な工場が何十年も前には無茶苦茶なパワーを発していたことを思うと、頷ける。
今は錆びた鉄骨だけが残っているだけだけど、昔は筋骨隆々とした、ボブサップみたいな破壊力を持った工場であったことは間違いない。

写真
はげた山の一部に緑が見える。
これは再生事業の賜物だ。
でも、山全体の面積から比べると、それがごくごく一部でしかないことは一目瞭然。



有名な赤い池への行き方がよく分からなかったので、今回はあきらめて上流にあるダムを目指しました。
でも、ここまでに体感したことが、あまりにも強烈であるため、それは次回にとっておいても十分なのです。

精錬所からさらに歩いて30分くらいすると、ダムに到着。
今回、もっとも綺麗に撮れた写真としては、これかもしれませんね。
ここも水はエメラルドグリーンをしている。怪しい。。
ダムからそのまま展望台へ行ける。
なんでこんな所に展望台を作ったのか全く意味が分からない。
全然美しくないんだ。その理由は今さら書く必要ないと思う。

人間社会の発展のために、犠牲となったのがこの山々だ。
人間の侵した罪を償うべく、再生事業を行っている。
公共事業の削減とか世間では言われているが、これは続けるべきだ。
ここで再生事業に携わっている人たちには、一重に頭が下がる。
草木の枯れた山々の、土壌改良から始めて、草木を生やし、水害や土砂災害が起きないように山を治療しているのだ。
技術は発展しているかもしれないが、この作業は本当に時間のかかる作業でしょう。
技術ではカバーできない、環境的な問題がある。
荒れた断崖絶壁に、鉄パイプで足場を組んで、そこから作業を始めるんだ。
そもそも足場を作るためだけでもむちゃくちゃ時間かかることでしょう。そして危険だ。
この再生事業は、いつ終わるか分からない。
普通に考えて、あと100年は続けないと駄目だろう。
あと100年やっても、この山々に緑が戻るかは保証できない。
それでもやらなければならない。
自然を侵した人間の償いとして。
さらにはここ足尾に住む(もしくは住まわざるを得ない)人たちへの償いとして。



この展望台をゴールとして、今回は帰ることにした。
富国強兵・殖産興業・公害問題、そんなキーワードがよく似合う足尾。
それはあくまでも教科書の中の問題。
オイラはあまりその内容に詳しくはないけれど、今回自分の足で足尾を歩いたことは教科書に記載されていることをじっくり読むよりも何倍もの意味があったように思う。
きっと普通の生活を東京で送っていたら、足尾が今こんなことになっていることなんて、一生気づかないかもしれない。
いってみて初めて分かることがたくさんある。
今回はそれを強烈に実感した。


足尾にはまだオイラが体感できていない遺産がまだまだあるはず。
赤い池や硫酸工場は、もっと下調べをした上でリベンジする。必ず再びいきます。
いつかオイラにも子供ができて、ある程度物事を理解できるようになったら、連れてきたい。
メディアやカルチャーは刻一刻と進化しているけれど、こうして時間の止まってしまったもの(町)が存在していることを伝えたい。

このばあちゃんは、何年足尾に住んでいるんだろうか。
インターネットとか、地デジとか、Suicaとか、知っているんだろうか。
できることなら、今度足尾を訪れるときには、こういうじいちゃんばあちゃんに昔の話を聞いてみたいと思う。


足尾へ、必ずまた行きます。その日まで、さらばだ!!


足尾の衝撃と感慨深さ、これ無尽蔵。
[PR]
by mujinzo | 2008-03-23 13:16