無尽蔵ブログ

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答えは、ひとつじゃない。

石巻ライフ!

石巻ライフ6ヶ月間の振り返りブログをようやく書きます。
一番の驚きは、密かに6kgばかし体重が減ったことでしょうか。
ハナから脱線しちゃってる感じですが、石巻の食材が美味くてヘルシーな証ですな。

じゃ、本題へ。

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まず、オイラが石巻ライフを過ごそうと考えた背景や理由を記しておきます。
2011年3月に東日本大震災が起きて、その年のGWに初めて災害ボランティアとして訪れたのが石巻でありPBVでの活動でした。この、最初に経験した1週間のボランティア活動があまりにも衝撃的で、それ以降度々週末ボランティアとして石巻を中心に活動してきました。
ただ、週末ボランティアは月曜日の仕事のことを考えるとけっこうしんどかったり、限られた時間の中で活動するのはどうしても「やり残した感」があるので、もっと深く長く関わりたいと思ったのです。
そして、生活環境や街、社会といった数では数えられないとても大きなものを新しく作ろうとしている動きは、普通に考えたら一生のうちで今しかないと思ったので、その大きな動きを外から眺めるのではなく中に入り込んで関わりたいと思ったのが主な理由です。
詳細は、石巻ライフへ旅立つ前に書き綴ったブログ「ADVENTURE」を参照してください。


■ 仮設きずな新聞・仮設住宅支援
石巻ライフを送る中で、オイラの主なミッションとして取り組んでいたのは仮設きずな新聞の作成です。
石巻市内には、現在も約7000戸の仮設住宅があります。
家を再建したりマンションに引越したり市外へ引越したりと、必ずしも総ての仮設住宅に人が住んでいる訳ではありませんが、まだまだ多くの人が仮設暮らしをしているのが現状です。
仮設住宅に住むということは、もともと住んでいた住宅が地震や津波の被害によって住むことができなくなってしまったわけです。
そんな仮設暮らしを送る方々に、街なかのニュースや仮設暮らしの知恵、震災から立ち上がった人たちの話などを伝達する媒体として、この新聞を作成しています。
TwitterやらFacebookやらが世の中を席巻しているように思われがちですが、それは都市部の話であって、都市部を除けばまだまだインターネットやSNSは生活に定着しているとはいえません。
若い過程ならまだしも、海とともに暮らしてきた元漁師のおっちゃんおばちゃんには、インターネットは程遠い存在です。
市のHPを見るよりも回覧板で回ってくる市報のほうがチェックされていたり、そんな感じです。

オイラが関わっている時期は、2週に1回のペースで新聞を発行。
2週間かけて仮設支援チームが仮設団地を回りながら配布、という運営をしていました。
オイラも新聞配布のために仮設団地を回ることがチラホラありましたが、反応は様々。
本当に楽しみにしてくれていて、創刊号から全部ファイリングしている人もいれば、受取拒否をする人もいました。
受取拒否をする人はもちろん少数派ですが、ゼロではないことを知っておいてほしいですね。

このような新聞を作成するというのは、阪神大震災のときにも行われた被災者支援の手法だそうで、今回の石巻でも応用していたのです。
仮設住宅支援を含めて、その大きな目的はコミュニティ形成のサポートと孤独死の抑制と言えます。
先程もチラッと書いたとおり、仮設住宅に住んでいる人は、震災や津波の被害によってもともとの家に住むことができなくなってしまった人たちです。
その多くは、沿岸部に暮らしていて漁業に関わっていた人たちです。
浜(漁村)で何十年もの間、隣近所顔見知りという関係の中で暮らしてきた60代70代の人が、仮設住宅で暮らしていくことは容易ではありません。
まず、狭い。
マンションやアパートに住んでいた人よりも一軒家に暮らしていた人のほうが多数派です。
そして、隣近所の人を知らない。
今まで何十年もの間、隣近所顔見知りの環境で暮らしていた人が、ある日突然壁の向こう側に知らない人が暮らしている環境に打ち込まれるのです。
これって都会でマンション暮らししてるオイラたちには想像できないくらい大変なことだと思う。
あと、若い人たちだったら長く暮らしていくうちに顔見知りになっていくこともできるだろうけど、年配の人達にとって新しい人間関係を築いていくことは簡単なことじゃない。
だから引きこもりになって最悪の場合孤独死してしまう人が少なくないという事実。
これを少しでも抑制するために、仮設団地の中でコミュニティ形成をするサポートをするのが仮設支援のボランティアであり、ボランティアが仮設住宅を訪問する際のツールとして新聞配布をしていたのです。
怪しい勧誘や訪問販売ではなく、ボランティアが仮設支援のために訪問してきたことを簡単に伝えられるのが「新しい新聞持ってきましたよー」という一言。これ大事だった。

仮設団地には、住民のための集会所が多くの場所に作られている。
もちろんその集会所も仮設住宅と同じプレハブの作りをしているんだけど、その集会所でお茶会やイベントを開催して、お互い知らない住民たちのコミュニティ形成をサポートすることが仮設支援活動の主な役割でした。
手芸をやってみたり手品をやってみたりお茶会プラスαのあれやこれやといった小ネタたちは本当にたくさんあったな。
お茶会だとどうしてもおばちゃんの参加者が多くなってしまうので、おっちゃんに参加しやすくするために日曜大工をしてみたりとか、なかなか面白かった。
活動終了後の夜中に宿舎で手品の練習をしたりする仮設支援チームのメンバーは本当に真面目でした。オイラがパトロール(後述)してる間もせっせとネタを仕込んでたのが印象的。

仮設支援や新聞作成・配布が、被災者や石巻のためにどのくらい役に立ったかはよく分からない。
きっとそれは今ではなく、もう少し時間が経ってから分かることなのかもしれない。
でも、意味がなかったとは全く思っていなくて、誰かの心に何かを届けられたと思ってる。
それと、被災から時間が経過するとともに、必要とする支援が複雑化していることも実感した。
家を失った人、家は失ったが再建の目処が立った人、家のあった場所は人が住んではいけないエリアに指定されてしまった人。
職を失った人、再就職にむけて活動している人、再就職する気が起きなくて生活給付に頼っている人。
仮設住宅に暮らしているといっても、その住民が置かれている環境や必要としている支援の内容は人それぞれ違ってる。
新聞配布にしても、人によっては物凄く楽しみにしている人もいれば、そんなの必要ないよってゴミ箱直行の人もいる。
本当はそれぞれの人に合ったサポートが出来ればいいのだろうけど、それはさすがにボランティア団体では不可能で、どうしてもある一定の画一的なサポートをするしかない。
あれもこれもしてほしいと願う人もいれば、もう普通に生活できてるから来なくていいよという人もいる。
それもまた現実であり事実。
まずは現実や事実を現実や事実として受け止めること、これは石巻で学んだことの一つですね。


■ コンテナに大漁旗を描く

前市民が毎日三色魚を食べても食べきれないほど魚が獲れる街、石巻。
多くの人が海とともに暮らしてきた。
牡鹿半島に点在する浜(漁村)は、どこもかしこも壊滅的な被害を受けているけれど、生計を立てるにはやっぱり漁業しかないと再び漁に出ている漁師がたくさんいます。
絶対数としてはやはり少なくなってしまったのだけど、三陸の海で穫れる魚はとびきり美味いし、これを食べて育ってきた人たちです。
埼玉生まれのオイラにとって、石巻で食べる魚介類は愕然とする美味さでした。

浜にはコンテナが点在しています。
トラックの荷台に使われていアレで、その中に漁師が漁具を保管しているのです。
そのコンテナに地元のスプレーアーティストと共同で大漁旗を描くという活動。
コンテナを大漁旗に見立てて、色鮮やかなオリジナル大漁旗を描くのです。
大漁旗のデザインは持ち主の漁師と一緒に決めます。
牡蠣やカニを描いたり、七福神を描いたり、◯◯水産と描き込んだりしました。
大漁旗を描いたコンテナは30を超え、PBVオフィシャルブログで見ることができます。
牡鹿半島をドライブしていれば必ず目に入ってくるコンテナ大漁旗。
錆止めを塗ってから描いているので、これからも長く残ってくれると思います。

『浜に色がなくなった』
このコンテナ大漁旗プロジェクトを強く突き動かすこの言葉。
地震と津波によって、浜から色がなくなってしまったというのです。
家の屋根や壁の色、車の色、草木の色、震災前の浜にはたくさんの彩りがありました。
震災と津波で家や車は流され、潮をかぶったきは立ち枯れ、色がなくなってしまったのです。
実際、紅葉シーズンの終わった冬場の曇の日に浜を訪れると、司会から色彩がなくなったモノクロームの景色が広がっているのです。
彩り豊かな頃を知っている地元の人にとって、この景色は痛切なものがあると思います。
そんな人達を勇気付け、浜に色を取り戻すこともコンテナ大漁旗プロジェクトの大きな意義でした。
モノクロームの景色の中で、赤青黄色といった色彩豊かなコンテナ大漁旗はとても力強く感じます。

一つ残念だったのは、この大漁旗を描く活動を漁師の人と一緒に活動したかったということ。
もちろん漁師の人は、自らの生計を立てるための漁業に日々従事しているのだけど、すぐ近くで活動しているのだから色塗りをする1日家2日の間だけでも、一緒に作業をしてほしかったです。
収入に直結する問題だから強くは言えないけど、きっとそのほうが思い入れ深くコンテナ大漁旗と暮らしていけると思う。
そして活動するボランティアにとっても『この人のために活動したんだ』という実感が湧く。
こういった活動の時に地元漁師の人と繋がりあって、今後も繋がっていくことができたら最高だと思う。


■ パトロール(呑み歩き)
石巻ライフの中での重要な活動の一つがパトロールでした。
昼間ボランティア活動をすることももちろん大事。
でも地元の人と関わるためには、夜の居酒屋などで交流することも大事。
あと、石巻の街なかに昼間いる人と夜いる人は違うのでね。
なにより、石巻の美味いものを楽しむことができる。
という訳で、週の半分は外に出ていろんな店を呑み歩きました。

いやはや、散財しましたね。
でも美味かったーーーー!!!
そして地元の人と酒を呑み交わしながら交流するのは、本当に楽しかった。
だんだん顔と名前を覚えてくれて、顔馴染みになっていくのが嬉しかった。
『こないだはアレ呑んだから、今日はコレを』みたいな感じで酒を勧められたらNOとは言えないよ。
この楽しさや面白さは、うまく文章で伝えられないや。
箇条書きでまとめるならば・・・・

・魚が美味い(当たり前)
・魚以外も美味い(日本酒、和洋菓子、中華、カレーなどなど)
・街の規模に対して美味い店が多い(驚異的な比率)
・ディープな店は、どこまでもディープ(文章じゃ書けない)

こんな感じ。
再び石巻を訪れるとき、どこの店で飲み食いしようか迷っちゃうんだ、ホントに。


■ 志ある人達との関わり

災害ボランティアとして石巻と関わり始め、今も石巻に残って活動している人達がいる。
ボランティアとしての活動をしている人もいれば、自分の特技を生かして石巻で新しい営みを始めている人もいる。
地元民でも熱い志を持って、愛する地元を蘇らせるために奮闘している人がいる。

石巻ライフを送る中で、このような人たちとたくさん関わりあう事ができたことも大きな収穫。
いま、再び企業社会に戻ってサラリーマン生活を送っているわけだけど、上記のような志ある暑い人がオイラの会社に何人いるだろうか。
とにもかくにも、そのような人たちとの関わり合いはとてもエキサイティングでスピーディ。
その行動力というか活動力と言うか、とてもアグレッシヴでしたね。

PBVの組織はシンプルだけどしっかりとしていて、各セクションの問題を共有しながら問題点を一緒に解決したり、先送りせずに判断していくやり方はとても楽しかった。
なんつーか『動きながら考える』感じです。
動く時間と考える時間はもちろん一緒ではないのだけど、同時進行で進めていくようなアグレッシヴ感。
この経験は、オイラがこの先サラリーマン生活をおくる中でも活かしていけると思ってる。


■ 第3のホーム

こないだのGW、石巻へ行きました。
実質滞在したのは1日ですが、いろいろと回りました。
大好きな中華屋で昼ごはんを食べて、顔馴染みのおっちゃんと世間話して、石巻都の関係の始まりの地石巻専修大のキャンパスに行ってあの頃のこと思い出して、酒屋に挨拶したついでに1本買ってピースボートセンターの屋上で青空の下日本酒呑んで、居酒屋でおまかせコースで呑み食いして親方の爆笑トークを楽しんで、日本酒BARで隣のおじさんに奢ってもらって、ディープなあの店でもう一杯呑んで、、、、楽しみすぎですね☆
顔なじみになった店では「どうも!」「おー、久しぶり!」「GWなんで帰省しました!!」なんてやり取りがあった。
いまは再び石巻を離れて新しい暮らしを始めているけれど、石巻を訪れればオイラが“帰ってきた”と喜んで受け入れてくれる人たちがたくさんいる。
ピースボートセンターでいまも活動している仲間たちだけでなく、石巻の地元の人とそういう関係を築くことができたのは、本当に本当にオイラにとって大切な繋がりです。
これこそが石巻と深く長く携わった石巻ライフの成果じゃないかと思う。
ホント行ってよかった!後悔ゼロ!!

道路を歩いていて知り合いにあって挨拶できる街、いくつあるだろうか。
そういう街は、きっとその人にとってホームと呼べる街だと思う。
オイラにとっては、生まれ育った埼玉・東松山、5年間暮らした品川・中延、そして宮城・石巻。
この3つがホームと呼べる街だと思う。
だからきっとこれからも石巻と関わり合い、年に何度かは訪れる街になる。

石巻、大好き。


■ 生きる
最後に、『生きる』という言葉の強さや尊さを感じた石巻ライフであったことを記しておきたい!
『生きる』という言葉そのものは、小学生だって言える簡単な言葉だけど、石巻ライフを送る中で地元の人の口から語られる『生きる』という言葉には、文字以上の意味合いがあるように思った。
地震や津波を生き抜いて、避難所生活や仮設暮らしを経験し、今現在生きている人たちの「生きる」という言葉の力強さは計り知れない。
刺し身や日本酒を楽しむことができるのも、世間話をしながら笑い合えるのも、仮設暮らしが狭苦しくてつまらないと感じることができるのも、生きていればこそなのです。
命を落としてしまえば、愚痴を吐いたり泣き叫んだりすることもできなくなるのです。
生きている中では決して楽しい事ばかりではなくて、辛くて悲しいことも少なくないけれど、それが365日24時間続くわけじゃない。
今を生きる石巻の人達の生命力や躍動感。とても鮮烈でした。
裕福でなくとも普通の暮らしを送れることに感謝。
月並みな言い方かもしれないけど、1日1日を大切にして生きようと心から思える。
今日を、明日を、これからを、イキイキと生きていこうと思います。

石巻に、心からのリスペクトを捧げます。
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by mujinzo | 2013-05-11 17:05