無尽蔵ブログ

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答えは、ひとつじゃない。

石巻ライフのラスト2週間の話

1ヶ月も前の話ですが、これ書かないと次に進めないですからね。

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3月の後半に起きた出来事は、大きく分けて3つ。
チーム東松山と帯同しての金華山清掃活動、大学の先輩を迎えての1泊2日ツアー、遠足プロジェクトの皆さんとのパーティでDJさせていただいたこと、この3つです。

◎ 金華山の清掃活動
東日本大震災を取り上げたドキュメンタリー映画「PRAY DOR JAPAN」の上映会で地元東松山を訪れた際につながったボランティア団体チーム東松山
震災直後から東松島(名前が似ている)の支援活動を開始し、東松島、石巻、金華山などで活動しているみたいだ。
そんなチーム東松山が、金華山の巳年大祭前の準備のためにボランティアツアーを組むということで、石巻発着で同行させてもらった。

1日目の朝、早朝4:30に門脇小学校前で待ち合わせ、という衝撃的な集合。。。
7:00に鮎川に到着すればいいっていうのにこの時間で待ち合わせってどう考えてもおかしかったけど、石巻発着で同席させてもらう見としては逆らえなかった。
で、3:30に起きて4:00に拠点を出て徒歩で門脇へ。
まだ真っ暗なド深夜。灯りのない門脇を歩く。これは怖かった。。。
4:30を少し過ぎたとき、向こうからバスがやってくる。
まるでネコバスが到着するかのような感覚。乗車。
バスに乗って5分後、魚町のローソンで1時間休憩。。。。は?!?!
こんなド深夜に頑張って起きて、怖い思いしながら門脇小まで行って、バスに乗った直後に1時間休憩?!?!?!?!
ローソンを出発する時間に待ち合わせれば良くね?!?!?!?!?!?!
キレそうな気持ちを抑えつつ、休憩時間は漁港周辺の散歩をした。

金華山での活動は、巳年大祭で使用するテントの設営や境内・参道の清掃でした。
内容はシンプルと言うか分かりやすいもので、オイラとしてはお馴染みの作業でした。
が、段取りが悪い。
まず、名前が分からない。
オイラは後から参加した人として軽く自己紹介させてもらったが、他の参加者の名前を一人も覚えられなかった。
名前が分からないから作業中のコミュニケーションが取りにくかった。
「あ、すいません、そこ持ってもらえますか?」みたいなことばかり。
参加していたのは、見た感じでは3分の2がリピーターで、3分の1が初参加。
地元でもイベントのサポートをしているようで、リピーターの人たちはかなり顔馴染みになっていたようだけど、オイラを含む初参加の人にとっては溶け込みにくいものがあった。
そして、参加者の名前や作業内容の全容を掴んでいるのは、団体のリーダー的な人なわけですが、そのリーダーが一人の作業者として作業に熱中してしまい、作業全体を仕切ったり指示をしたりすることができていなかった。
これは、致命的な欠陥と思わざるをえない。
みんな次に何をするかわからない中で、その場その場での対応をする。連動性なし。
その日の作業時間、作業の目処がよく分からないまま延々と作業が続く。
始めは1時間作業して10分休憩するような段取りをしていたけれど、疲れが溜まってきた夕方の時間帯に休憩なく2時間以上作業を続けた。
結局、作業終了としていた時間よりも1時間オーバーして作業終了。
その日だけでは終わらないことが見えている中で、いつ終わるのか分からず、疲労も溜まっている中でダラダラと作業をするのは、かなりキツかった。
それでいて終わってみれば「みんなよく頑張ったねー!」とワーキャー言っている。
愛想笑しか出来ませんでした。

唯一良かったのは、食事が豪勢だったこと。
調理班というチームがあって、作業をしている裏側で、宿舎の調理場を使って夕食と朝食をサポートしてくれた。

帰りは、石巻の駅前で降ろしてもらった。
挙げ句の果てには「なんで門脇小学校で待ち合わせだったの?」とまで言われた。
もう、呆れちゃいますね。

とはいえ、この経験から学び取ることは多い。
まさに反面教師。
オイラがチームや組織を運営する際には、同じ失敗しないようにしたい。
・自己紹介は必須
・一度で顔と名前を一致させるのは困難だから、名札をつくる
・チームリーダーは作業員にはならず、全体の進行を把握
・チームリーダーは、参加者同士の調整役、参加者と作業依頼主の調整役になる
・作業を開始する前に、作業の全容や到達すべき目標を提示する
・多少流動的でもいいから、時間を決めて作業をする
・作業終了の30~1時間くらいまえに、作業の目処をつける
→ ここまで頑張りましょう!という動機付けをする
→ 作業をしながら片付けにも取りかかることができる
といったところでしょうか。
オイラはこの1回しか参加していないけれど、オイラが参加したときのチーム東松山の活動では、上記のポイントが総て欠如していた。
12年に1度の巳年大祭を実施するための準備を手伝うという活動内容はとても意義のあるものだっただけに、上記のポイントが欠如していたのはとても残念でした。


◎ 1泊2日の石巻ツアー
石巻ライフもカウントダウンとなってきた最後の週末に、大学の先輩が石巻を訪れてくれた。
「被災地のことを見てみたかったし、どうせならまさきっくがいるうちに石巻を訪れたい」という理由で石巻を訪れてくれた。
オイラは石巻の市民ではないけれど、こうゆう理由で石巻を訪れてくれる人がいるということに、本当に嬉しくなった。
石巻を案内してほしいということだったので、レンタカーを借りて1泊2日のツアーを組んだ。

(1日目)
石巻駅で合流

馬っこ山

まるか鮮魚店で昼食

ピースボートセンターでPBVの活動を紹介(イマココのオリエンテーションに同席)

魚町

南浜

門脇小学校

がんばろう石巻

日和山

牡鹿半島

御番所山公園

元気の湯

汐だまりで夕食

(2日目)
復興民泊を出発

女川町立病院

女川原子力PRセンター

おかせいで昼食

雄勝店こ屋街

大川小学校

長面

上品の郷でお土産購入

石巻駅で解散

「そんじょそこらの被災地観光じゃ絶対に行かない1泊2日石巻ツアー」とゆうテーマのもと、このコースを組みました。
はじめに馬っこ山行ってる時点で、被災地観光を凌駕してますね。
すごく天気良かったし、オイラにとっても石巻ライフのまとめになるような2日間にしたかったというのもあって、このコースを組みました。
日和山からの景色だけじゃなく、馬っこ山からの景色も見て欲しかった。
沿岸部だけじゃなく、馬っこ山の方まで津波が到達したというその距離感を知ってほしかった。
石巻市と女川町の対比、そして原発との関わりについても知ってほしかった。
面積が違うとはいえ、現実に存在する復興のスピードの違いを知ってほしかった。
元住民の半数以上が地元に戻りたくないと言っている雄勝のことを知ってほしかった。
原発事故による放射線量の問題で封鎖されているわけでもないのに、自分の生まれ育った「地元」が失くなってしまうという、ちょっと普通の人には想像しきれないような事態を、可能な限り想像してほしかった。
悲劇の舞台として大川小学校が有名になっているけれど、その先に続く長面地区のことを知ってほしかった。
長面はオイラ自身も行ったことがなかったので、まだ遺体捜索すらできていない場所があることを、この目で確かめたかった。
そして、めちゃくちゃに美味しい石巻の食文化を堪能してもらいたかった。

そんな気持ちでこのコースを組みました。
すごい濃厚な2日間を過ごしてもらったけど、オイラが観たり感じたりした石巻の現実や魅力を伝えるには、これだけのコースが最低限必要だった。
個人的にも、訪れたことのなかった長面地区を訪れることができたので、本当に思い出深い時間になりました。
もう一度書きますが、東日本大震災が起きて2年以上が経った今も、遺体捜索すらできていない地域があるということを、知ってほしいです。
不勉強な部分もあるので少し間違っているかもしれないけど、東日本大震災で大きな地盤沈下の発生した長面地区は、場所によっては2階建ての家が完全に水没する7mもの地盤沈下が発生したと言われています。
以前は陸で、道路があって家々が並んでいた場所が、今は海の中にあるのです。
もともと海、もともと川だった地域は、ある程度の時間捜索しても遺体や遺留品が見つからない場合は捜索が打ち切りとなります。
ですが、長面地区はもともと陸。もともと陸だった場所は、何年経っても必ず遺体や遺留品の捜索をすることになっているのです。
ただ、今はまだ、それに手を付けることができないのです。
陸のほうから少しずつ区画を区切って仮設堤防を作り、水溜りになった場所をポンプで水を抜き、捜索活動をする。その繰り返しを現在も続けています。
空撮写真を見ると、北上川の河口をはさむ長面地区と十三浜の被害は本当に悲惨なもの出ることがよく分かります。
もともと陸だった場所が海になり、海岸線の形が変わってる。
満潮だの干潮だの関係なく、海のエリアが広くなっているのです。
そこにあったはずの暮らしや営みは、地震と津波で総てを失ってしまったのです。
実際、行けるところまで行こうと思って海の方へ進んでいくと、途中で道は行き止まりとなりました。
カーナビにはその先も道路が続いていることになっているのですが、行き止まりになっていました。
そこで車を止めて、土のう袋の積みあがった場所を登ると、その先には海が広がっていた。
道路がすぐそこまであるのに、行き止まりになって、その先にあったはずの道路はなくなり海が広がっていたのです。
この衝撃は、このブログでどれだけ伝えられるか分かりませんが、もう無茶苦茶な衝撃でした。
さらに衝撃的だったのは、その行き止まりになる直前の地区は海に背を向けるような方角で家が建てられていて、奇跡的に家屋の倒壊や津波の被害を受けることなく家が残っていました。
そして、その家に暮らしているのです。
家から見える景色は、あの日を境に一変してしまったでしょう。
今は、本当に何もなくて、そこに道路や家や車や暮らしがあったことを想像することはほぼ不可能なくらい何もない景色が広がっています。
そんな景色の中で、オイラは暮らしていけるだろうか。
その現実を受け止めて、再び同じ場所で暮らし始めることができるだろうか。
あの場所で暮らす人達の心情を思うと本当に重苦しい気持ちになるけれど、それでも同じ場所で暮らしや営みを持つことに、途轍もない生命力を感じました。
その根性、そのプライド、その愛情に、心を撃ち抜かれました。

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石巻ライフの最後の最後に長面地区を訪れて、達成感なんか全くなくて、ただただ言葉を失い、眼の前に広がる荒野を可能な限り記憶に焼き付けることしかできなかった。
でも、行ってよかった。
あの場所を知らずして石巻ライフを終えていたら、きっと後悔していたと思う。
これからも石巻には、年に数回訪れることになると思うけど、再びこの場所に行きたいと思う場所が、また一つ増えた気がしました。
長面地区が「復興した」といえる日は、きっと今年や来年では訪れないだろうけど、いつか必ずやってくるその日のために、希望を捨てずに頑張ってほしいと思います。
そんな地域のためにできるサポートとは何か、オイラたちが考えるべき課題は少なくない。

今回のブログのトップ画像は、その行き止まりになっていた場所の写真です。


◎ 遠足プロジェクトのパーティ

最後に、3/28の夜のことを書きます。
オイラの石巻ライフが始まった直後に日和アートセンターで行われていた展示遠足プロジェクトで知り合った武谷さんが、カナダに暮らすアーティストを連れて石巻を訪れ、女川ーとギルドのメンバーや地元の人を交えてパーティすることになったのです。
厳密に言えばこの日は、既に石巻ライフを終えて4月からの新しい暮らしの準備をしなければならなかったのですが、石巻で繋がった人からの嬉しいお誘いを断るわけにはいかず、1日だけ石巻に戻ってくることにしました。
会場はISHINOMAKI2.0の拠点IRORI。
ここでパーティDJとしてパーティをサポートすることがオイラの任務。
こういったたぐいのパーティDJは、オイラとしては得意ジャンルだったので楽しくDJさせてもらいました。
出会いって大切、繋がりって大事、2月にラ・ストラーダでDJさせてもらった時と同じような気持ちでDJしていました。
あと、石巻工房のテーブルをDJ卓として使えるなんて、ちょっと贅沢でしたね☆
石巻工房のテーブルや椅子、ベンチはとても好きなのでこれから買い揃えたいと思っています。

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パーティは、女川アートギルドの面々、タケヤさんを始めとするアーティスト、オイラが呼び込んだPBVやコモビ参加の地元市民が適度に交じり合い、とてもよい雰囲気のパーティになりました。
石巻でこんなミックス具合いのパーティできるなんて、とってもすごいことです。
なんだかオイラの石巻ライフは遠足プロジェクトに始まり、遠足プロジェクトに終わったような感じですね。
そして、遠足プロジェクトは2013年8月に大阪でのエキシビジョンがあるらしく、この繋がりはまだまだ続いていきそうです。


そんなこんなで、石巻ライフを終えました。
Facebookでは石巻を去る時に投稿させてもらいましたが、本当に来てよかったと思ってるし、後悔ゼロ。
石巻ライフが与えてくれた経験や出会いや感動や繋がりは、これから何年生きられるかわからないけど、オイラの人生の中でとても重要な時間になったことは間違いありません。
次回のブログでは、石巻ライフの中で取り組んだことをそれぞれ書き綴りたいと思います。


ではでは。 またまた。
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by mujinzo | 2013-04-29 12:08