無尽蔵ブログ

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答えは、ひとつじゃない。

”暮らし”のこと。

2月11日になって、TokyoSkyWeddingから1年経ったことを思い出した。
2012年て、まさにTRANSITな年だったんだなーーー。

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2012年の2月11日。
僕らは東京のド真ん中六本木で、東京で一番幸せな夜を過ごした。
その時の内容や感想などについては、そのときのブログを読んでほしいです。

リンク → 僕らは再びTRANSITしてゆく

そしてこないだ、約1週間かけて埼玉・東京・福島と巡ってまいりました。
正月を石巻で過ごしたから実家に帰省することと、その他諸々用事が溜まったので。
ほぼ毎日呑んでいたんですけど、それぞれがそれぞれの生活環境の中で"暮らし"ているんだなーーーって感じました。まぁ当たり前なんだけど、そんな当たり前を改めて実感しました。

当然、オイラも、オイラを取り巻く生活環境の中で暮らしています。
いま石巻に滞在していることは、全体的に見ればとても特殊な暮らしをしています。
戦力外ではないことが確認できたので、4月からはカイシャに勤めながらの社会人生活が再スタートすることになりそうです。そう思うと石巻でのこの暮らしはもうあと僅かで、カウントダウンに入ってきてるのかも。

"暮らし"に近い言葉で"今を生きる"という言葉があります。
石巻でこの言葉を聞かない日はないくらいよく聞きます。でも石巻で暮らしてみると「いま、自分が生きていること」を東京で暮らしているよりも強く感じます。
震災で家を失い仮設住宅暮らしをしている人の中には、自分の暮らしを嘆いたり悲しんだりする人が少なくありません。
でもそうやって嘆いたり悲しんだりすることは、生きているからこそできることでもあります。命を失った人は嘆いたり悲しんだりすることができません。ましてや、笑ったり喜んだりすることもできないわけです。
暮らしを取り巻く環境は決して良くないかもしれないけど、"今を生きる"という言葉の持つ生命力はとても力強い。

オイラがこの1週間で感じた"暮らし"は、"今を生きる"に比べると力強さのあるものではありません。より平穏で、単調で、静かです。竹内まりやの言葉を借りるとすれば「毎日がスペシャル」そんな心意気のことかもしれない。
"今を生きる"な石巻での暮らしを踏まえて、オイラは4月からどんな"暮らし"をしていこうか。
そんなことをぼんやりと考えながら、残り2ヶ月弱の石巻ライフを過ごしていくことになりそうです。



震災後初めて福島県に行ったので、そのことは少し具体的に書いておきたいと思います。

この休職期間中に何らかのかたちで福島を訪れたいと思っていましたが、ようやく実現しました。
震災前からいわきでの"暮らし"を始めているカイシャの同期を訪ねて遊びに行き、フリータイムはレンタカーで福島の海岸線を走ってみました。もちろん、原発の方へ。
いわきの中心部から福島原発までは、約40kmの距離があって、駅前の放射線測定器は0.19マイクロシーベルトを示していました。石巻では0.05くらいのことが多いから、僅かな量だけどやっぱり違うんだなーと感じました。

レンタカーに乗って、北へ。
四倉漁港の近くにある寿司屋さんに入り、海鮮丼を食らう。
メガ海鮮丼 1,200円。安っ!!

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でも、この魚介類たち、総て外から調達してるんだってさ。
もちろん、理由は放射能の影響で漁に出ることができないから。
漁港は再建工事が進んでいるけど、漁に出られるのはいつになるやら全く不明。
そんな状況の中で営業を続ける海辺の寿司屋の魂は、熱い。石巻や女川で食べる超新鮮な海鮮丼に比べると鮮度が落ちていることはなんとなく感じられたけど、この量だしこの値段だし、その心意気は本当に素晴らしいと思いました。
漁業が再開できるのはいつになるかわらないけど、いつか漁業が再開したとき、この店の本気海鮮丼を食べてみたいと強く思いました。

さらに進んで広野町に突入。広野町では海辺を歩いてみた。
当然だけど、青かった。空も海も青かった。すんげー綺麗な景色だと思ったけど、それが目に見えない放射能で汚染されていることを思うと、心が苦しくなった。
どのくらいの波に襲われたのかよく分からないけど、海辺の建物は基礎部分を残して姿を消し、岸壁が思い切り変形していた。規模の大小はあれど、津波の威力や恐ろしさはどこだって変わらないんです。

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さらに進んで楢葉町に突入。
Jヴィレッジを過ぎたあたりから、一般車両が激減し、原発関係の貼り紙のある車が多く走るようになった。オイラが走っていたのは立ち入り禁止エリアではなく一般車両が走って良いエリアなんだけど、まぁほぼゼロでしたね。
目に映る風景や町並みは、そこに"暮らし"が存在しているのかよく分からないものでした。
被災地と呼ばれる多くの場所がそうであるように、2011年3月11日から時間が止まってしまって進んでいないような、進んでいるとしてもほとんど進んでいないような雰囲気を感じました。
殺伐として、人の営みや生業を感じることのできない、とても奇妙な気持ちになりました。
その他の被災地にも、津波の爪痕が色濃く残っている地域もありますが、この場所よりはなにか人間ぽさを感じることができます。
とにかく、とてもイヤーーーな気持ちになりました。
レンタカーであったこともあり、外から来た人っていう感じがバリバリに出ていたので、楢葉町の途中で引き返しました。この殺伐とした田舎道でイヤーーーーな気持ちになれただけでも、十分な収穫(経験)だと思ったから。

原発事故とその後処理は、現在進行形の問題で、オイラが生きている間に完了するかどうかも分からない深い深い問題。
その地域にあったはずの"暮らし"は消え去り、いつか取り戻すことが出来る保証すらない。
生まれた土地を失い、「地元」と呼べる街を失った人が、この日本に多く存在すると思うと、ホント心が痛む。
問題があまりにも巨大で、オイラ一人でなんとかなる問題じゃないことは重々承知してるけど、何とかならないもんだろうかと、考えずにはいられませんでした。



そうしてもう一度、自分の"暮らし"について考える。
「地元」と呼べる町は存在してるし、そこには熱い志を持って暮らしてる同年代の友達がいたり、両親や親戚も暮らしている。
まずはこれに感謝しよう。そして大切にしよう。RESPECTしよう。
東京も同様に、血の繋がりはないけれども家族のような関係の友達や沢山の知人がいる。
これも感謝すべきことだし、これからも大切にして、RESPECTしていかねばならない。
石巻には、東京や埼玉とは違った関係の仲間や知人がいる。
震災が起きてからの約2年の間に、オイラはこの人達から本当にたくさんのことを学んだ。
これも感謝すべきことだし、これからも大切にして、RESPECTしていかねばならない。
淡々と暮らしている中でも、こうして大切なモノや大切な人がたくさんいることを心に刻もう。

そんでもって、これから10年20年と、どんなふうに展開していくかわからないけど、どんな"暮らし"をしていきたいか、少しずつでもいいから具体的に描いていこうと思う。で、そこから逆算して今するべきことやこれからやるべきことを整理していこう。


30歳になってもう半年経つし、もうすぐ東日本大震災から2年だし、それがすぎれば春がやってくるし、そんなこと思い描くにはちょうどいい季節なのかもしれない。
このブログの続きは、オイラの頭の中で。。。。




ではでは、またまた。
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by mujinzo | 2013-02-11 21:45