無尽蔵ブログ

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答えは、ひとつじゃない。

生活。-長崎・五島ライド振り返りブログ①-

今回の長崎・五島ライド。
5泊6日というけっこう長い日数をかけて回ったので、いろいろなことを経験できた。
日本の西の果てには、オイラの知らないことがたくさんあって考えさせられることも多々。

まずは最初に訪れた町、長崎市について書いてみたいと思います。

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長崎県長崎市。
当然のことながら長崎県の県庁所在地です。

チャリと共に飛行機移動して、高速バスにゆられて長崎到着。
うっかり降りるバス停を間違えてしまったため
チャリを組み立ててからはとりあえず長崎駅を目指した。
今回の旅では旅行ガイド的なものを一切持って行っていないので
駅や港などのターミナルにある観光案内所でイラストマップを
入手することがまず第一に必要なことでした。


■ 平和公園 ■

長崎市。
駅を中心にすると北のほうに平和公園があり
長崎港を囲むように東側にはオランダ坂・グラバー園などの観光地
西側には三菱造船の巨大な造船所と稲佐山、そんな位置関係。
まずは平和公園に行きたかった。
他にもいろいろ行くべき場所はあるかもしれないが
初めて長崎を訪れたなら、原爆の話を避けて通るわけにはいかない。
戦争のことを取り上げた教育があまり好きではなかったので
十代の頃はあまり戦争に関することを知ろうとしていなかった。
でも20代になって、30歳を目前にして、知るべきことであることを認識し始めた。

平日ということもあり、原爆資料館は空いていたのだけれど
そこに展示された数々の資料・遺品は本当に凄まじかった。
資料館の中に、長崎に落とされた原爆と同じ大きさの模型がある。
大きさをうまく例えることができないのだけど、軽自動車くらいかな??
目の前にその爆弾模型を見たとき、初めは『でかいな!』と思った。
でも少し経って考えが変わった「町を吹き飛ばした爆弾は、こんなに小さいのか?!」と。
ニュースで見かける車を炎上させた自爆テロ。
あれを引き合いにしていいものか迷うけど、あんな自爆テロは小規模火災が起きる程度。
でもこっちは違う。
一瞬にして長崎の町を吹き飛ばし、何万もの命を奪い
今もその後遺症に苦しまれる人が何十万といる。
自分でイメージすることの出来る範囲を超えていたように思う。

原爆資料館の近くにある平和公園。
今も絶えず花が手向けられ、人々の祈りが捧げられている。

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■ オランダ坂・グラバー園 ■

すいません。
今のオイラの感性において、オランダ坂とグラバー園はグッと来るものではありませんでした。
グラバー園とか、風が強くて風景眺めてる場合ではなかったので早々に出ちゃったし。

オイラが感じたことは、オランダ坂近辺の本当に急な坂道に
囲まれた地域で生活している人がいるってところ。
行ったことがある人は分かるかと思いますが、あのへんの坂道は本当に急です。
広島・尾道に行った時も坂道と共に暮らす人々の生活があったけど
もしかしたら尾道よりも急かもしれないって感じの坂道でした。
平地なのは長崎駅・長崎港周辺だけで、周囲はすぐに山でした。

観光客のためにうまくリフォームされて景観を彩るお洒落な洋館。
文明開化の音がするような感じね。
でもそんな洋館の並んだ道を一つ隔てて、一般住民の家々が立ち並んでるのです。
よくもこんな場所に家を建てたな。
どんな風にして家を建てたの?
なぜそこまでしてここに住む??

率直に言ってそう感じました。

でも、何らか訳があるんだろうね。
しかも先述のとおり、長崎の町に平地は少なく
急な坂道だけどそこに家を建てるしかなかったんだろう、とも思います。

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殆どの家は、建築後40年以上建っている感じがしました。
車を家の前で止めることもできず、自転車だって無理だ。
人々は階段をせっせと昇り降り。
年配の方々にとってはキツイかもしれないが、元々そこで生活していたのだから
そんじょそこらの老人たちより足腰はしっかりしてるんだろな。

オイラはそこに住んでいるわけではなく、半ば一人の観光客として
ほんの何時間かだけそこにいただけです。
だから本当にその地域に住んでいる人の気持ちは分からないけれど
苦労しつつも工夫して、"生活している。"ということが強く伝わってきた。


■ 稲佐山 ■
日本三大夜景とも称される稲佐山から見た長崎の街。
『長崎に行ったら必ず稲佐山に行って!』と友達からも念押しされていた。
そんな訳で、日没の時間帯は稲佐山に行こうと思っていました。
稲佐山は333m。たまたまだけど東京タワーと同じ高さ。
展望台まではロープウェイでいこうと思ってたんですが
まさかの定期点検により休業・・・・・ありえん!
でも、長崎まで来て稲佐山に登らないのは勿体ないし
せっかく新しいレンズを買ってチャリ旅しているのだから
長崎の夜景を取らない理由もない。

とゆうわけで、頑張りました。チャリ登山!
ロープウェイの駅近くにあるコンビニに入って
『稲佐山って、自転車でも登れますか?』って聞いた。
店員のおばちゃんビックリして
『展望台近くに駐車場があるので、車ではいけるけど、自転車じゃとても・・・・』
なんて言ってた。
まぁ普通そんなコト考えないだろな。
実際、稲佐山の展望台までタクシーを使ってきてる観光客もチラホラいた。

オイラにとってもまさかの展開で、初日にこんな体力使っていいのか
とも思ったけど、それ以外の選択肢がないのでその道を選んだ。
なんか、勝手にテンション上ってしまったんですよね。
稲佐山への道は、けっこうキツかった。
たぶん30%くらいはチャリを転がして登っていた。
日没の時間の90分くらい前から登り始めていたので
なんとかなるとは思っていたけど、足パンパンでした。

頂上についてみると、展望台そのものも改修工事中で
階段から眺めることしかできず残念だったけど
その夕日や夜景は十分に堪能することができた。

写真は、稲佐山から眺めた夜景と、その背後を包んでくれた夕陽です。

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■ 堂下さんの店 ■
夜、飲み屋街を探して適当にご飯を食べた。
本当は一発ヒットさせたかったので、かなりウロウロしたんだけど
どうも入った店が微妙だったので、ご飯食べて早々に店を出た。

飲み屋探しをしているときに、一つ店の名前もよく分からないバーがあって
『ここは地元の人しかこないんだろうなぁ』と思ってとりあえず避けたんだけど
ご飯も食べたわけだし、ちょいと覗いてみようと思って入店。
これが大ヒットでした。

店のオーナーと話してみると、この店には本当に名前がないそうだ。
ほんとかよ?!とか思ったけど、それはそれでスタンスがハッキリしていて良い。
東京からやってきたことや自転車で稲佐山を登った話をすると
いろいろと話に展開されてたくさん会話することができた。
オイラよりもあとに入ってきた夫婦も、オイラのことを気に入ってくれて
長崎の話や東京都比較した話など、色々してくれた。

その中で特に感心したのは、長崎経済と病院の関係。
長崎は、大河ドラマ龍馬伝の関係でこの1,2年は景気が良いが
そんなものは未来永劫続くわけではなく、すぐにブームは去ってしまう。
また、九州新幹線も長崎を通っているわけではないので
そのブームに乗ることもできない。
そもそも長崎の交通機関は、電車よりもバスのほうが発達していて
空港や主要都市、福岡や熊本などの周辺県に移動する際も
自分の車で移動するか、高速バスで移動することが主だそうだ。
しかも、自分の車で行く場合には何時間かかけて運転して
さらに移動した先で駐車場代を払い、さらには高速料金なんかも加算される。
となると、1回福岡に行くだけで移動だけで結構な金額になるらしい。
距離にして約150km。
片道の高速料金3500円。
ガソリン代と駐車場代を足したら約1万円。
高速バスなら往復で4500円。

こんなならたしかにバス使っちゃうよね。

電車に関して言えば、終電はほとんどが23時台。
だから会社員たちの飲み会も一次会だけで解散するパターンがほとんど。
深夜になることはオールナイトでカラオケに行くか
カプセルホテルなどで夜を明かすことに直結する。
だから、バーなどの飲食店もなかなかうまくいかないらしい。
オイラは堂下さんの店で24時過ぎまでダラダラしてたわけですが
カプセルホテルに宿泊することを前提としていたのでね。
確かに帰り道は殆ど人の気配がなくなってた。

そして複雑な問題だと思ったのは病院の話。
長崎は、原爆投下された街なので被爆者の方々が多く住む。
そのため人口に対する病院の数はほかの都市に比べると
格段に多いらしい。(たしかに多かった)
被爆者の方々は、特別な法律によって保護されているので
一生涯医療費を払うことはなく、国からの補助によって賄われる。
それは癌や脳梗塞などの重大な病気から、些細な風邪まで含めて総てだ。

戦争が終結してから65年の月日が経った。
原爆の被害を直接的にうけている人の年齢は、適当な計算をしても70代でしょう。
被曝者の方々の子供など、二次災害的に原爆症として認定されている人も
いると思いますが、その絶対数は年々減っているはずです。
そこから導きだされる今後の問題は、病院の経営難です。
あと何十年かしたら、長崎の待にこれほど多くの病院は必要なくなるのです。
病院が必要なくなるということは、病院に従事する人も必要なくなるのです。
医師や看護師といった高所得者層が減ると、長崎の待でお金を使ってくれる人が
(平均値として)減ってしまうことも確実だと思います。
これは、長崎に逝く前は全く考えたこともない問題だけど、現実だと思う。
そんな日が来たとき、長崎の人たちは自分たちの力で街と経済を盛り上げて
いかなければならないのですが、それに気づいている人は町の中でもまだ僅からしい。
原爆によって深い傷を追った町が、約100年後にそんな問題に陥るなんて残酷すぎる。

その問題を認識し、なにか起爆剤になるようなプロジェクトを立ち上げたり
行政に掛けあって色々な制度改革を求めている人もいるそうだ。
オイラは次に長崎の街をいつ訪れるか分からないけれど
そのような問題意識を持った人達が少しでも増えてほしいと願う。


こういう話を聞けただけでも、そういう問題について考えさせられただけでも
今回の長崎・五島ライドに出かけてよかったと思っています。



次は、五島での話。
長くなりすぎるので別投稿とします。
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by mujinzo | 2011-03-20 14:50